けんしんです。
年初に株式投資の振り返りをしていましたが、まだやっていないものがあります。
そう、FX(と言いますかトルコリラ)です。
ロスカットの傷が抉られるのであまり思い出したくない面もありますが、逃げるのは良くないので遅くなりましたがやっておこうと思います。
パフォーマンス
FXは2018年で▲85.8%と大幅なマイナスとなりました。
この時は精神的にかなりしんどいかったですね。
もう2度と経験したくないものです。
1月~7月:水面下での危機の拡大
この時期は致命的な状況にはならなかったものの、ロスカットに至る道が水面下で整備された時期だと思っています。
当時、私が保有していた通貨はトルコリラと南アフリカランドですが、下記のようにレートがどんどん下がって来ていました。
この時期に私が取った売買は、南アフリカランドの削減とトルコリラの買い増し。
南アフリカランドは過去の安い時期に仕込んでいたため含み益が大きく、トルコリラは買って間もない状況だったためややマイナスという状況でした。
大きく上昇した南アフリカランドから、下げが大きく値ごろ感が出たトルコリラにシフトさせていていったイメージですね。狙いは下げが大きいトルコリラの反転。勿論、高いスワップ収入も魅力に感じていました。
しかし、この行動が裏目に出ます。
トルコリラの下げが止まらず、マイナスが膨らんでいきます。
この時は損切りも検討していたのですが、レバレッジ2~3倍と低めに抑えていた事や、下げが急だったため幾ら何でもどこかで反転するのでは??という甘い見通しの元、手を打たなかったところではあります。
この時期なら傷が深くなる前に逃げることが出来ました。
何も手を打たずに来てしまったことが、今考えると最大の失敗でしたね。
この期間中は断続的に資産が減り初め、8月初時点の2018年パフォーマンスは▲45.7%と半分近くまで減少しました。
8月:ロスカット(強制決済)へ
そして、いよいよ運命の8月となります。
8月になって早々、それまで防衛線として機能していた1リラ22円が一気に破られます。
(ギュル法相とソイル内相への米国内資産凍結)
これに対し、トルコも制裁返しで応じ、泥沼の様相を呈して行きます。
22円を割れてからのトルコリラは下げが止まらず、あっさりと21円、20円を割り込み、10円台に突入していきます。
この時ばかりは流石にまずいと思い、ポジションの縮小に動きます。
南アフリカランドの削減です。これによりトルコリラのロスカットの水準を16~17円くらいまで落としました。
しかし、損切り自体は良かったですが、本丸のトルコリラではなく、南アフリカランドを選んだのは失敗だったと思っています。素直にトルコリラを切っていれば、ロスカットは免れていました。
そして、運命の日である8月10日、トルコリラは19円台から一気に15円を割り込み14円台に突入しました。流石にこの水準には抗しきれずロスカットとなりました。
一連の流れと無策は、私の13年の投資歴で一番の失態であったと思います。
ロスカットを経た後の9月初時点のパフォーマンスは▲90.5%とFX資産は年初の10分の1にまで落ち込みました。
トルコリラ地獄のような1日(ロスカットされました) - 風林火山 投資録
9月~12月:回復期
さて、ロスカットされた後、FXを続けるか悩んだ末に続行を決めました。
実はこの判断は適切で、8月の下げがセリングクライマックスとなり、その後上昇に転じています。12月末時点のレートは20円台を回復しています。
ただし、レート自体は回復したと言っても、レバレッジを落とし、小さな金額で細々と続けているため、あまり上昇の恩恵は受けていません。
ロスカットされた後に入金して再開していればもう少し取り返していましたが、そのような資金もリスクを取る気力もなかったというところです。
2019年に向けて
2018年のFXは非常に厳しい結果となりましたが、これから長く続く投資家人生にとってよい経験をしたという事も出来ます。
徳川家康は三方ヶ原の戦いの敗戦後に情けない自画像を描かせ、戒めとしたと言われています。
私も失敗を糧に投資家としての能力を高めていきたいと考えています。
トルコリラについては、2019年も続けていますが、昨年の損失を取り戻そうとは考えず、大きなリスクを取らずやって行こうと思います。
相場では生き残ることが何より大事と言います。私にとって今の時ほどこの言葉を噛みしめた事はありません。
この時の失敗の記憶を決して忘れることなく、投資に邁進していきたいと思います。
関連記事
他の退場したと思われる方の話です
米国株の2018年振り返り
日本株の2018年振り返り